今どき珍しいなんだかスカッ!と爽やかな気分になる映画です。
映画としては、AIをポジティブに捉えていて好感が持てます。
この映画はAIを写実的に表すことが目的でなく、
あくまで、「復権」や「尊重」がテーマだと思うのでそこはうまく描けていると思う
ただここをしっかり理由付けがあったら無理なく入り込めたのになぁという点があるのでそこは語っときたい。
何年か後、リメイクするときに、考慮してほしい。
・ゲームのモブキャラのすべてにAIが備わっていて、ゲーム内で独自の生活を行っている。という設定。
現実、今のところ無理。
サーバーがいくつあっても足りない。
量子コンピューターが実用化すれば可能かも?
・AIが一度リセットされて、初期状態に戻ったのに、一言呼びかけると、今までの経験がよみがえる。
さすがに、これは絶対無理。
リセットされるということはデータを全て消しているということ。
AI的には学習した全てを失っているということ。
人の記憶と違って、消されてもどこかに残っているわけではないから
いや、本当は残ってるけど、システム的にアクセスできるところにはないし、
AIが新たな学習をすることによって、そのデータは壊されていく。
・放置されたAIプログラムがモブキャラ全てに浸透することはない。
ただ、これは人が行えば可能なわけで、映画の中で無意識で人がAIプログラムをモブキャラ全部に浸透するようなプログラミングをしてしまった。というシーンがあれば映画としては成立する。(現実にはやっぱり起こりえない。)
映画の中では同じサーバーの中にオリジナルのゲームが存在していて、そのゲームを拡張していくのではなく、それをライブラリとして使って全く別のゲームを作り上げるということになっていた。そんなまどろっこしい作り方だからこそ、AIプログラムがモブキャラに入り込める下地はあったことはうかがえるけど、やっぱり、実際どうやってそうなったのかを映像で見せてくれないと成立しないと思う。